こんにちは、YUKOです。
このプロフィールはとっても長いです。
私プロフィールって、過去の輝かしい実績とか経験を書くものだと思ってなかなか書けずにいたんですが、私に興味を持ってくれた人が私のことをもっと知ってくれるきっかけになってくれればと思って私の過去を書いてます。
書かなくていいかなーと思った恋愛のこととかも書いてます。
その前に私は簡単なプロフィールも公開したことなかったので、すぐにわかる簡単なプロフィールも書きました。
YUKOの簡単なプロフィール
YUKO
職業
- Webライター
- Kindle作家
26歳までネイリストの仕事をしていましたが、女性特有の人間関係に疲弊し、一人で誰とも関わらずに仕事をしたいと夢見るようになりました。
あまりにも人との関わりが苦手すぎて、本当に仲のいい友達以外には自分を出せず。
31歳の時から月1回旅行に行くようになり、33歳になった2018年3月から、東京の家を引き払って、いろいろな国でパソコンで仕事しながらサーフィンして遊んでます!
海と旅が大好きなデジタルノマドです。
内向的なのに刺激を求めてしまうHSS型HSPという気質であることに気づき、生きづらさの原因を排除したり向き合ったりしながら、フリーランスとして働くことでストレスを減らし、自分らしく楽しく生きれるようになったので、同じような気質を持つ方へ新たな働き方を伝えています。
YUKOのとっても長いプロフィール
私の青春時代から自分らしくに自由に生きる現在までを書いてます。
私がどんな生き方をしてきたか、まとめてみました。
青春時代
中学の英語の先生が好きで英語に興味を持つ
中学時代の英語の先生はおばあちゃん先生でした。
おばあちゃん先生の喋る英語がかわいすぎて英語に興味を持ったのがこの頃。
浜崎あゆみが好きすぎてネイリストを目指す
高校時代に大好きだった浜崎あゆみ。
彼女のネイルを見るたびにあんなネイルができる仕事をするんだ!と思ってた高校時代。
15年も前の話だから今とは状況は違うけど、あの時の私はネイルをしてても大丈夫な職業といえば、「ネイリスト、キャバ嬢、アパレル」だけしか思いつきませんでした。
消去法でしたが、ネイルの技術も身につけたくてネイリストを目指すようになりました!
オーストラリアでネイルも英語も勉強しよう!
この頃から私はやりたいことは全部やりたい性格だったみたいです。
興味のある英語も、ネイルも勉強したい!
じゃあワーホリでオーストラリアに行って両方勉強しよう!
という目標ができました!
私の母は、「やりたいことがあるなら自分でお金を用意しなさい」という人だったから高校卒業後、正社員とバイトを掛け持ちしてお金を貯め、1年で100万円貯めました。
彼のことが好きすぎてワーホリ断念
当時の彼に、「寂しいから行かないでほしいなー」的な言葉にワーホリを断念!
今の私ならありえない決断ですが。
ネイルの技術は日本の方が高いし、ネイリストになるなら日本が一番!
という謎の理由を後付けして、ワーホリに行くのをやめました!
福岡ネイリスト時代
ネイルスクールに通い、海外はシャットアウト!
21歳の時に貯めたお金の一部を使い、実家から1時間かかる福岡市内のネイルスクールへ通うことに。
この頃は海外は見ると行きたくなりそうだったので、旅行のパンフレットや海外旅行情報はすべてシャットアウトするようになっていました。
ネイルサロンに就職し彼と別れる
ネイルスクールに通い2ヶ月くらいたったころ、系列のサロンでの仕事の話をいただきました。
そのことを彼に話すと、会える時間が少なくなるような事を言われ、なぜか仕事か彼かを選ばないといけない状況に。
この頃この彼にはすでに3回も浮気されてたんです!
でもこの人より自分の人生が大切だと思いネイリストの道へ。
この19歳から21歳の時の恋愛経験から、「男の人は絶対浮気する。1人の男性に執着しても無駄」という考えが生まれ、特定の彼氏という存在を作らない人生を送ること15年以上おくることになりました。
福岡でネイリストとして仕事をしだしたけど、お店はファッションビルの中に入っていたので退勤時間が決められていたので、レッスンもできない環境でした。
技術も上がらないまま定時で帰るOLのようなネイリストを2年くらいやってました。
ネイルの技術をあげたくて大阪へ移住
このままここで働いててもなんの成長もないな、と思い大阪へ移住することに決めました。
大阪にした理由は、単純に大阪と関西弁が好きだったから!
昔からやりたいと思ったら即行動です。
大阪ネイリスト時代
家だけ決めて大阪へ!ネイリストの就活
大阪への移住は、はじめての一人暮らしだったにも関わらず、内見もせずに憧れのなんばに近いというだけで場所も決め、レオパレスのマンスリーを契約。
就職は行けばなんとかなるだろう、と楽天的に考えてました。
就活方法はまさかのホットペッパー!
サロンの写真を見て、ネイルのデザインが好きだったお店にネイリスト募集してないか電話する超アナログな方法。
もちろん給料もいくらもらえるかも知らないまま。
OLみたいなネイリストだった私は技術がほとんどなく不安でしたが、2件のサロンで面接と技術テストを受け、2件目で無事に仕事が決まりました。
こんなネイルで生活してました。
みずから進んで休日出勤する働きづめの毎日
技術をあげたい一心で、営業後はレッスン、レッスン。
大阪に友達はいなかったから、レッスンモデルも駅前で声かけして見つけて。
技術に自信がつくようになったら今度は後輩への技術指導と、チーフとして月に1回深夜まで続くミーティングと飲み会。
朝から夜まで、毎日働いてました。
人間関係が辛く、精神的にも不安定に
もともと女性同士のネチネチした関係が苦手な私は、ネイリストの人間関係にはとても苦労しました。
後輩や先輩との縦社会にも全く馴染めず、人間関係も全然うまくいきませんでした。
ネイルは好きなのにこの環境が嫌すぎて、精神的にはかなり不安定になっていました。
自分が社会には向いてないと思ったのはこの頃です。
研修旅行の初海外でやりたかった事を思い出す
初めての海外は26歳の時、ネイリストのときの研修旅行で行き先はハワイでした。
当時関係のよくなかった後輩と一緒に参加で、全体で20人くらいの団体旅行。
ここでは毎日食事後に社長の部屋にみんなで集まり語り合いがはじまります。
先輩には責められるわ後輩には尊敬できないと直接言われるわ、とても思い出したくないほど苦痛な研修旅行でした。
でも、自由時間でハワイをまわってみて、ハワイの気候にも癒されたし、自分の英語の通じなさにもショックをうけたし、「そういえば私英語や海外に興味あったんだった」と思い出させてくれた、私の人生を変える重要な初海外旅行となりました。
ネイリストを辞める決意をし、お客さんに1冊の本をもらう
この研修旅行をきっかけに、私の旅に出たい欲と英語勉強したい欲と、ネイリスト辞めたい欲が爆発しました。
ネイリストとして働いている限り、ずっとこの椅子に座り続け、お客さんを迎え入れる毎日だから旅をするのは無理かも、と思ったのはこの頃です。
実際に海外旅行好きの先輩もいたけど、旅行のたびにお客さんにスケジュール調整してもらったり、どうしても調整できないお客さんは私がその時だけ引き継いだり。
お客さんに迷惑かけながらネイリストと旅を両立するのはなんか違うな、と感じました。
ネイリストを辞めるならどんどん指名のお客さんが増えていく5年後とかではなく、今だ!とネイリストを辞める決意をしました。
そして、指名をいただいてたお客さんに退職祝いでもらった本が、「ザ・シークレット」。
前にも読んだことはあったのですが、この時改めて読んでみて、最高にテンションが上がりました。
「欲しいものはすでに持っているものとして感謝する」
「あなたがほんとうに欲しいものは何ですか?」
「いいことも悪いことも考えたことはすべて引き寄せる」
という引き寄せの法則。
単純な私は何度も何度もこの本を読み返してテンションあげてました。
大阪アラサーフリーター時代
やりたい事をやるために貯金と英語を始める
ネイリストを辞めてやりたいと思っていたことが、まずはニューヨークへの個人旅行。
英語は独学でトラベル英語から勉強をはじめました。
ニューヨーク旅行前の衝撃的な出会い
私は本を読むのが好きで、ハワイに行って海外に興味を持ってからは高橋歩さんがかなり好きでした。
そして、本屋に行くと何冊も買ってしまう癖があったので、ニューヨーク前は旅費のために本を買うのを自分の中で禁止にしてました!
一冊買うととまらなくなるので、我慢して立ち読みしてる時に高橋歩さんの新刊が発売されていることを知りました。
その本を読み終わるまで立ち読みしてしまって、さらに何度も読み返してるときに声をかけられました。
「歩さん好きなんですか?」
びっくりしたし、立ち読みしまくってたのを見られてた恥ずかしさもありながら「好きです」と答えると、歩さんのトークライブを主催するからきませんか?とのお誘い。
もちろん即答で「行きます!」と答えました。
これこそ引き寄せの法則だとテンションがあがりまくったのを覚えてます。
さらに、ニューヨークにある歩さんがやっている会員制のお店に行きたいけど会員制だから行けないという話をすると、店長と知り合いだから紹介してくれるという驚きの展開!
この出会いがきっかけで、大阪のぶっ飛んだ人たちと繋がる機会が増えました。
ニューヨーク旅行で留学を決意
ニューヨーク旅行は、私のはじめての個人旅行。
独学で勉強した英語で道を聞いてみたりして、ハワイの時より英語が通じる感動もあったけど、相手の言っている事がわからない時も多く、もっと喋りたい!と英語欲が溢れてきました!
さらに、はじめて海外の男の人を知る機会がありました。
海外の男の人ってなんてストレートで情熱的なんだろうと感じたけど、その時の私の英語力はGoogleで翻訳しながら会話するレベル。
そんなんで私のことが好きなんてありえないと全く信用してませんでした。
だけど、英語力をあげたいと思ったのは事実。
このニューヨーク旅行がきっかけで英語の留学を決意しました。
帰国後バイトを3つかけもちしながらバーに通う毎日
帰国後は留学にむけてお金を貯める毎日。
1日で3つのバイトをかけもちし、1日17時間くらい働いてました。
それでも、本屋さんで声をかけてくれた人(今では友達)がバーをやっていたので時間を見つけてはバーに通ってました。
理由は、そのバーに行けば歩さん好きな人や夢を追いかけてる人やぶっ飛んだ人たちと仲良くなれるから。
この時に、やりたいことは今からでもなんでもできる!と思わせてくれる人ばっかりだったんです。
付き合う人を変えると人生変わるなって思ったのがこの頃。
ネイリストを辞めてから半年くらいしかたっていないのに、この時にかなり人生も性格も変わったな、と思います。
バイトのかけもちはもうできないけど、過去で一番働いていた時。
このころに路上詩人をやってた友達の影響で、大阪の路上でネイルをやっていたことも。
路上ネイルでイベント企画のスーツの男性に声をかけられ、怪しいと思いながらも名刺を見ると有名な会社!
それがきっかけでイベントで子供にネイルを教えたり夏祭りにネイルブースを出店したり、このころはまだネイルが好きでバイトをしながらもまだネイルをたまにしてました。
セブ留学時代
必死にアルバイトをして貯めたお金をFXで増やし、セブ留学に行きました。
セブ留学の期間は2ヶ月半。
この2ヶ月半は平日は英語の勉強、土日はフィリピン人の先生と遊んで英語を使って、英語漬けの毎日でした。
だいぶ英語に対する恐怖心が消えたのがセブ留学の成果。
実はFXの勉強をしていたときに読んでいた本の著者が同じ学校に通っていたという驚きの展開もありました。
オーストラリアワーホリ時代
ニューヨーク移住にむけてバイトかけもち
10年越しのオーストラリアワーホリの夢が叶いました。
でも、この頃は特にオーストラリアには興味がなく、ニューヨークに移住したい目標があったからバイトかけもちで働く毎日。
ニューヨークに移住したかった理由は、ニューヨークで出会ったあの彼は関係なく、当時ハワイとニューヨークしか行ったことがなかったけど、両方とも2回ずつ行ってハワイよりもニューヨークに移住したいという気持ちがあったから!
サーフィンをしていなかったこの頃、行きたい国の好みも今とは全然違うのがおもしろい。
レストランで働いてたから接客は英語だけど、そんなんで会話力がのびるわけではなく、私の中ではただ日本より時給がいいから働いているという状況。
私のワーホリは出稼ぎみたいなものでした。
ワーホリ中に30万円のYouTubeの情報商材を購入
実はネイリストをやっていた頃からネットで稼ぐということに興味はあり、ブログをやってみた時期もありました。
オーストラリアは時給が高かったから、日本にいた時みたいに17時間も働くことはなかったけど、「働いてお金を稼ぐ」という事に疑問を感じていた頃で、たまたま見つけた30万円のYouTubeの情報商材に手を出してしまいました!
ニューヨーク移住にむけてためてたお金で。
バイトの合間にYouTube商材を実践する日々
情報商材を購入してからは、この大金は取り返したい!
という思いで、バイトの後は寝る間を惜しんでずーっと商材の実践をしてました。
YouTube商材で稼げず諦める
かなり時間をかけて頑張ってみたけど、稼げた金額は月500円くらい。
あの頃はこの金額に耐えきれずたった3ヶ月くらい頑張った後、諦めてしまいました。
ちなみにザ・シークレットは英語版の方が言葉が力強くて好きです。
帰国2ヶ月前に骨折!
オーストラリアでバイト中に階段を踏み外して足首を骨折しました。
手術をする予定でしたが、結局骨の様子を見るためしばらくは手術なしで松葉杖生活をしいられることに。
でもオーストラリアで仕事もせずに、シェアハウスのオーナーに毎日ご飯を作ってもらって食べる毎日。
これは帰国を早めるしかないな、と思い早めに帰国。
私のワーホリは10ヶ月間、仕事三昧でした。
仕事以外ではイケメンのトルコ人男性とたまにデートしたぐらい。
骨折療養生活時代
ハンドメイド品をネット販売する毎日
日本に帰ってすぐに手術をし、しばらくは療養生活をしてました。
骨折中は手しか使えないので、オーストラリアで興味本位ではじめたアクセサリー作りを本格的にはじめ、ネット販売をする毎日でした。
でも、ハンドメイドの販売って、作り続けないと稼げないんですよね。
ネイリストの時と同じで、自分が働かないと稼げない事に本格的にやりだしてから気付きました。
そこでハンドメイドはやめようと思い、余ったアクセサリーの材料をメルカリで販売しました。
そしたら、ハンドメイド品を販売するより手間が少なく、結構売れる事に気付きました!
それからはアクセサリーの材料を大量購入し、転売する日々。
忘れていたYouTubeの可能性に気付く
ワーホリ中に頑張っていたYouTube。
この頃はそんな商材を買ったことも忘れてました。
でも、あの時は月500円だったYouTubeからの収入が月5,000円になっている事に気付きました。
諦めてからは何も作業していないのに、です。
これが私の中で結構な衝撃だったんです。
最初は辛くても、頑張っていればいつかそれが実になる時がくるんだ!とネットでの副業に希望を持ったのがこの頃です。
のちにその副業で月40万円ほど収入が得られるようになりました。(しかし、やり方がグレーゾーンで家族や友達に自信をもって紹介できる仕事ではなかったので、今はもうやっていません。)
東京アラサーフリーター時代
骨折した足も2ヶ月ほどの療養生活でだいぶ治ってきました。
ネット副業の可能性に希望を持っていたけど、生活費を稼ぐためにまた30歳でフリーターになりました。
生活するのに選んだ地は東京。
この時も、日本に住むならやっぱ東京かな。っていうテキトーな理由です。
バイト、転売、ネット副業の勉強をしながら月一旅行をはじめる
ハワイで大好きだった紫のマラサダのお店が日本に店舗ができたのでそこでバイトをすることに。
スイーツづくりなんて一切やったことのない素人が、ハワイのアランチーノでパティシエをしていた方から直接学べるなんて、夢のような機会でした。
バイトは朝が早く6:30から仕事だったので15:00にはいつも終わります。
バイトが終われば、転売商品の発送準備をし、ネット副業の勉強をする日々。
バイトはシフト制で自由に休みをもらえてたので、3週間ぶっ続けで働き、毎月1週間の休みをもらう変則的なスケジュールにしてもらってました。
過去の海外シャットアウト経験から、行きたいところを行き尽くすかのように毎月海外旅行へ行ってました。
月一旅行の経験を生かし、旅ブログをはじめる
ネット副業でブログの勉強をしたので、31歳のときに旅行経験を生かして旅ブログの運営をはじめました。
いつか旅のブログをやりたいなーと思っていたから、月一旅行をはじめた当初から写真はたくさん撮ってました。
そして、自分がこれまで行ったおすすめの場所やフォトジェニックな場所を紹介する記事をひたすら書き続けてました。
ニューヨーク旅行で例の彼に再会
あるとき、月一旅行でニューヨークへ行くことにしました。
ニューヨークで出会った彼とは、その後ニューヨークに呼んでくれて旅行に行ったりもしてましたが、いろいろあって一旦すべてブロックして連絡をシャットアウトしてました。
でも、ニューヨークにせっかく行くからあの人元気かなーと軽い気持ちでブロックを解除したんです。
自分から連絡する勇気はなく、放置してたらなんとむこうから連絡が。
ニューヨークで再会し、留学したことで前よりも上がった私の英語力で会話ができるようになりました。
でも旅行は1週間だったからまた帰ってからは連絡を取り合うだけ。
だけど、私の事をこんなに好きになってくれる人はほかにいないんじゃないか?と考えるようになりました。
それでも男の人を信じるのは怖かった。
どうせ浮気するし。
大阪の友達かニューヨークのあの人か
ニューヨーク旅行からしばらくして、またニューヨークにおいでよっていう旅行の誘いがありました。
結婚願望はなかったし、私は彼の事を信じることができなかったから、あまり気を持たせるのもよくないと思ったけど、こんな人二度と現れないかもしれないし、もうこの辺で妥協してもいいかなーとなんとも失礼すぎる考えをしてました。
だけどニューヨークで泊まる場所についていろいろ話していると彼に不信感を抱くようになってニューヨーク行きを迷ってきました。
そんな時にニューヨークに行こうと思ってる日程の間に、大阪の本屋さんで私に声をかけてくれた友達が湘南の海の家でイベントをすることに!
ニューヨーク行きのチケットは買ってくれてるし、ほんとにほんとに迷ったけど、自分の気持ちに素直に従おう!ってことでニューヨークの彼にはごめんなさいしました。
海の家での出会い
私が大阪の友達のイベントに行きたかった理由が、友達に会えるのともう一つあって。
この海の家をやっているオーナーに歩さんのトークライブで会ったことがあって、もう一度会って話をしてみたかったから。
だから出会いというか再開だったんだけど、ゆっくり話したことはなく、向こうは私の事なんて覚えていないレベル。
その彼は毎年ドルフィンスイムのツアーを開催してて、いつか行きたいと思ってたんです。
そこでドルフィンスイムのツアーの話をまた聞いて、私は行きたいモード全開!
ツアーだけで30万円、プラスアメリカへの航空券が必要だったので、金額的に高かったしちょっと悩んだけどすぐに次の年のツアーに申し込みました。
旅と海欲が高まる
次の年の6月、ドルフィンスイムツアーに参加してきました。
もちろんドルフィンスイムは感動!
ツアー中は船の上で1週間生活、ネットは繋がらないから、イルカと泳ぐ以外はずっと参加者たちと会話。
その中でその海の家をやっているその彼と仕事の話になったんです。
私は「場所にとらわれて働きたくない。旅しながら仕事がしたい」って言ったら、その彼は「俺は今こうやって仕事としてドルフィンスイムツアーに来てるけど、仕事してる感覚はないよ。こうやってやりたいことできてるし。」って言ったんです!
私は旅をしながら、いろいろな国をまわりながら遊んでいるように働きたいんだって確信しました。
その1週間、参加者たちや主催者といろんな話をして、サーフィンをやりたいこともなんとなく話をしてました。
サーフトリップ行くからおいでよ
それから海の家に遊びに行くようになり、サーフィンやりたい欲が高まってきたころ、その彼は私に言いました。
「サーフトリップ行くからおいでよ」
サーフィンやりたいけど、まだはじめてもいない私。
しかも行き先はインドネシア、しかも行くのは1ヶ月半後。
同じ月に妹とインドネシア旅行をすでに決めていたから行くとなれば月に2回もインドネシアへ行くことになる。
普通ならそんな急に行く!っては言えないと思うけど、当時は成田からバリ島へエアアジアの直行便があったので、幸い航空券代もかなり安く抑えられる!
今更月1回海外行くのも2回行くのも変わらない!と思い行くことを決めました。
彼曰く波は絶対むこうのほうが日本よりいいし、先生つけてくれるからできなくても大丈夫だしって言うから、とりあえず日本で3回だけサーフスクールに通って、一人で立つことすらままならないままインドネシアのロンボク島へはじめてのサーフトリップへ。
ここでの経験は最高でしかなかったんですよね。
毎日クタクタになるまでサーフィンして、しかもつきっきりで私はレッスンしてもらって、みんなはみんなで楽しんで、夜はみんなでビール飲んで、こんな大人の遊び方があるのか、と感じた旅でした!
サーフィン特訓できる環境を作りたい
こうなると、私は止まりません。
レッスンがなくてもみんなと楽しめるようになりたい!
私が海を渡り歩きながらいろんな国で仕事できる環境を整えようと決めた頃です。
海外ノマド時代
2018年3月、東京のシェアハウスを出る
はじめてのサーフトリップから半年。
この半年間はバイトを週3日に減らし、必要最低限の生活費を確保しつつ、残りの週4日とバイト後の時間をすべてブログやネットから収入を得ることに捧げてきました。
飲み会や遊びは極力断り、生活費を下げる努力もしました。
月一旅行も何度か休んで貯金にあてたり。
そして、半年後にもう日本を出ると先に決めてメキシコ行きの航空券を予約し、それだけを見て動いてきました。
家を出ること自体には特に抵抗はなかったです。
私はもともとなにかあったらすぐ環境を変えたくなって、引っ越しばかりしてました。
大阪では2年間に3回、東京でも2年間で3回の引っ越し。
月一旅行をしていた時はほとんど家にいないのに1ヶ月分家賃を払う意味が分からずに、3回のうち2回は家賃の安いシェアハウスだったし、むしろ家っていらないんじゃないか、と思っていたほど。
メキシコから海外ノマドをスタート
最初の国はメキシコです。
理由はただ単にメキシコに興味があったし、スペイン語にも興味あったし、サーフィンもできるから。
そこで朝から昼までサーフィン特訓をし、昼から仕事をする生活。
わけあってサーフィンは1週間しかできなかったのだけど。(レッスンのガイドがすごい体を触ってきたりするようになったり、レッスンなのに私一人で海に入って彼は海の上から見てるなんてこともあった。。)
でも、物価が安い国ならサーフィンレッスンを長期で申し込んでも安いし、食べ物も安いし、仕事しながらサーフィン特訓する生き方、これからもできそうだなと実感しました。
旅ブログが飛んでブログ収入がゼロに
私が二ヶ国目のマレーシアに移動した時、セキュリティーやバックアップの関係で旅ブログがすべて消えてしまいました。
バックアップさえとっていれば復活できたのに、バックアップの知識がないまま書き続けてきたのが理由です。
初期化してくださいとサーバーからメールが届き、バックアップを取っていないまま初期化しちゃったんです。。。
その時にブログの収入がゼロになりました!
落ち込んだけど、ブログから収入を得続けるには、バックアップやセキュリティの知識を持っておくのは当たり前のことだと学んだ瞬間です。
Webライターをはじめる
ブログの収入がなくなって収入が限りなくゼロになり、このまま日本に帰るのは絶対嫌だった私は、目先のお金を得るためにWebライターをはじめました。
Webライターは1記事いくら、文字単価いくらという形で報酬がもらえるので、ブログと違い働いた分だけお金がもらえます。
Webライターの仕事は文章力を上げるためにもとてもいい仕事だと感じ、今でも続けています。
ダイビングのアドバンスライセンスを取得
私はサーフィンの他にもダイビングやシュノーケリングも好きです。
サーフィンもダイビングも初心者レベルですが。
そんな私は2018年に水深30mまで潜れるアドバンスライセンスをとりました!
海外ノマドになって、好きな時に海に行けるようになったので、自由度はかなりアップしました!
東京に住んでいた頃は生活費も高かったし、海は近くにないからサーフィンやダイビングをしようと思っても大変だったから。
9ヶ月の世界一周
海外ノマドは2年続け、その間には9ヶ月の世界一周も経験できました!
9ヶ月で訪れた国は7ヶ国!
モロッコに3ヶ月、メキシコに4ヶ月とかなりのんびりした旅でしたが、仕事をしながらサーフィンをしながら、自分らしく旅ができたなぁという印象です。
この間にやってたTwitterはのちに宮崎に移住したときにいろいろ思うことがありアカウント削除しちゃったのだけど、今思うともったいなかったなぁ。
インスタには旅中の写真も載せてます。
宮崎移住時代
世界一周帰国後に待ち受けていたのはコロナウイルスのパンデミック!
帰国後は次の月からまた海外に出る航空券を買っていましたが、「旅」を仕事にしているわけではないし、今出るのは違うと思い、日本にしばらくいることを決断しました。
海外旅行関連のブログとライター業をしていた私の収入はコロナのせいで一気にゼロに。
海外にも行けず何もかもやる気をなくした私は、給付金でもらったお金を使い、数ヶ月は仕事は一切せずにいつかまたメキシコに行こうという思いからスペイン語の勉強に振り切りました。
実家にいながらオンラインレッスンを1日3時間、それ以外の時間もずっと勉強。1日10時間ぐらい勉強してました。
実家からは近くにサーフィンができるところはないし寒いしで、ずっと座り続けて4ヶ月経った頃、運動不足とストレスから腰痛になってしまいました。
やっぱり寒くなくてサーフィンができる場所に行きたい、という思いで、宮崎へ引っ越し。
そこでも宮崎に住んだことすらないのにレオパレスを内覧せずに契約。
決めてからは1週間で引っ越しまで終わりました。
このときはすでにWebライターとしての自信もついていたので、宮崎に行っても仕事に困ることはないだろうという思いでした。
実際に、仕事はすぐオンラインで見つかり、物価が比較的安い宮崎で生活しながら東京で仕事をするのと同じくらいの収入が得られる生活はやっぱり魅力的でした。
宮崎で1年くらい住んだ頃、宮崎に定住したいなぁと思うようになり、レオパレスは退去し、車を中古で購入し、賃貸のおうちへ引っ越し。
そこから1年住みましたが、今更寒さに耐えきれず、今度はストレスからヘルニアを発症。
世界一周をしてから、海外旅行に満足していたことと宮崎が気に入ったことで海外旅行に行きたい欲は一切なかったのですが、宮崎という田舎の地の狭いコミュニティの中の人間関係のストレスから、やっぱり海外に出たいな、と思うように。
友達と約束をしても直前に気持ちが乗らなくなり、前日に体調を崩してドタキャンしてしまうような自分が嫌になることもあったから、やっぱり物理的に人間関係から離れられる海外に行こうと。
2022年9月になり、そろそろ普通通り海外にも行きやすくなってきたので、また宮崎のおうちは退去し、自由に生きる生活を再開しました。
このころからHSS型HSPという気質を知り、私がおかしいんじゃないんだな、こんな人たちもたくさんいるんだな、ということを感じるようになりました。
私の将来の夢
遠い将来の夢は特にないのですが、私自身やっぱり「自分らしく楽しく生きる」というのが人生のテーマです。
これまで32歳でサーフィンをはじめたり、33歳で世界一周をしたり、人より遅咲きの経験があったからこそ、「年齢は関係ない」というのを言葉にして伝えています。
それから、HSS型HSPの気質を持っていると、日々の生活の中で生きづらいと感じる気持ちを持つことも多いです。
海外に行かなくても、自宅で仕事ができれば人間関係のストレスもかなり減らすことができるから、フリーランスという働き方はHSS型HSPにすごく合っているのではないかな、と感じるようになりました。
だから、会社に属することでストレスを感じているHSS型HSPの人たちへ、時間と場所にとらわれず、自分らしく楽しく生きる方法も伝えています。
私をもっと知りたくなった人は私の「人生でやりたいことリスト100」も見てみてください。
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同じ夢がある人は、一緒に叶えちゃいましょう!
こんなに最後までよんでくれてありがとうございました。
過去の経験をさらに詳しく書いた記事もあります。
興味を持ってくれた人はこちらもどうぞ。
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